見えざる手
罪人は逃げる、そして誰かがつかまえる。
ひとは生まれながらに罪人であるとは良く効く話です。
初めて聞いたときは赤子がいったいなんの罪を背負っているのかと耳を疑いましたが
今ぶりかえすとまったくしっくりしてると思うのだった。
もしもここが天国などではなく煉獄であるのならば。
罪悪感を感じる人とそうでない人は居て、またそれが誰に対してのものなのか他人は特に介入し得ないものであり、私は悪い子ですと言えば許される場所があるとすればそれは此処とは別の世界なのだろう。
小さい罪から始まりまだ許されている(生きている)と覚え段々と罪は膨らんでいったそうな。
可哀相に映るのは背負った罪ではなくごまかし取り繕う姿であろう。
そして苦行のような末に魂の解放(瞬殺刑)を賜うのである。
子は授かりしもの、と人は生まれながらにして罪人の言葉同士が
打ち消しあった後にはいったい何が残るのだろう。
2388年 ミュータントによる法務執行局が設立される。
罰の形は至って簡素化され刑務所や鑑別所などはもう存在しないという。
現在までの膨大な判例データベースを基に刑の重みを判断し有罪ならばその割合分、身体を削ぎ落とすのであった。罰金刑は貨幣基準格差等の流動性において消滅している。
刑の判断をするのは6~12才までの少年、そして刑の執行には18歳以上の成人でありどちらも強化人間である。
ふたり一組を一単位とし追跡執行にあたるのだった。
〔見えざる手〕
挿絵( http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/s/sawani-co/20170626/20170626184928.jpg )